転職・起業事例13/故郷の会社に自分の出番があった

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「こんど古田さんが三重事業所の所長になられました」

今年の五月、出向を仲介してくれた人材斡旋会社の担当者から、出向者フォロー担当の浜崎豪介に、このような連絡が入った。

古田康則は五七歳。化学工場の生産管理、エンジニアリング会社で国内外の化学プラントの建設、樹脂加工メーカーでの工場管理、化学プラントの生産管理人や合理化検討業務を担当するなど様々な仕事に従事してきた。

1年前にスーパーの値札や金具を加工する現在の田辺製作所へ出向したが、今回の昇格は、まさに賢例のスピード昇格といえる。

同社は、現会長の田辺陽之助が一代で築き上げたもので、苫節40年、年商50億円、従業員数100名、三年前に池袋に本社ビルを構えるまでの規模に成長した。

田辺会長は高齢ながら、まだ陣頭指揮を執っているが、後継者問題では悩みが多いようだ。娘婿が有力後継候補といわれているが、会長の合格点はまだ出ていないらしい。

会長は、これからの経営は集団指導体制しかないと考えているようで、外部から人材を受け入れている。古田もその1人である。

「人が少ないから、責任のある仕事を任せられる。実績を出せばどんどん重用されるが、反面、結果次第で簡単に降格されることもあるので油断は禁物だよ」、古田は会社の雰囲気をこう語る。

彼を知る人は、「たいへん融通のきく人。逞しいし、人柄もいいし、上司にすればいつまでも近くに置いておきたい人間だよ」と評する。

前職でもつい引き留められ、そのせいか、55歳になってからやっと出向の話が出て、ほどなく郷里三重県に新職場を確保した。

いろいろな仕事を経験してきたこともあって、発想の采軟性と実行力が彼のセールスポイントで、課長という立場で常務取締役事業所長(会長の娘婿)を助け、生産・品質・労務管理や将来計画の立案等に力を発揮してきた。

また、この事業所で実施した業務効率化の内容を全社幹部会議で発表し、それが全社コスト削減運動の標準モデルとして採用されたこともあり、一気に評価を上げた。

こうした努力が会長に認められ、冒頭の昇格人事となった。

厳しい経済環境の中、スーパー等流通業界も設備投資が抑えられ、業績もなかなか上がらないが、東京本社での幹部会議に出席する機会は確実に増えている。

本人は、「今の会社には私のような、種類の異なる仕事を経験してきた人がいないので、私にも出番があるんですよ」と謙遜しているが、仕事熱心で許容力のある人柄は、さらなる活躍を予感させるものがある。

鈴鹿山系の麓にある勤務先までは、古田の実家から約1時間で通える。茨城県での単身生活が長かった彼にとって、毎朝、妻に見送られての出勤は、この上なく心地よいことのようだ。

休日、古田は夫人と京都や奈良までドライブする。足場のいいところで、いずれも1時間半くらいで行くことができる。鈴鹿山系の四季の移り変わりを楽しみ、京都、奈良、伊勢等名所旧跡を夫人と一括に訪ねる。

また、故郷の仲間が古田の帰郷を喜び、飲みかつ語りあう。ときにはゴルフもし、故郷での生活をエンジョイしている。

長かった単身生活が余計にこうした時問の大切さを教えてくれ、これが彼の明日への活力になっている。

現役転職コンサルタント


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