転職・起業事例6/単身帰郷し先祖伝来の田畑を守る

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また稲穂の実る季節がめぐって来た。

徳山喜三郎が、稲作の収穫を迎えるのはこれで六度目になる。幸い稲も順調に実をつけ、今年も豊作のようだ。また、昔の会社仲間と酒を酌み交わしながらの自慢話を楽しみにしている。

徳山は、四八年前に大手化学メーカーに入社した。高校時代から山口県の片田舎の高校で長距離ランナーとして名を馳せ、会社にも陸上選手として採用された。

その健脚ぶりは社会人駅伝で区問賞をとるなど輝かしい成績を残し、特に急坂が得意であった。

そうした徳山も齢30を過ぎる頃から健脚に衰えが見えはじめ、後輩に道を譲って大阪の営業部に配属となり、陸上選手生活にピリオドを打った。

営業部に配属されてからの徳山は、持ち前の明るさと陸上で鍛えた粘り強さ、加えてその人柄のよさが買われ、営業成績をぐんぐん伸ばしていった。

実は、徳山は営業部に入ってからも走った。得意先から得意先まで走り回ったのである。

四~五キロの距離なら平気で走った。上り坂も下り坂も走り続けた。バスや電車を待つよりも早かった。

あるとき新人社員が配属され、教育のために徳山の顧客回りに同行したが、そのときも時間がないため走り、10歳年下の新人が音をあげたという。

そんな徳山も人情家である。得意先の経営が思わしくなくディーラーが売り渋ったときも、必死になってディーラー探しに駆けずり回り、何とか繋ぎその得意先の経営危機を乗り越えさせた。

50歳を過ぎた徳山は、営業部の中でも一番のベテランになり、若い人たちが次々に育ってきて、そろそろ営業部からも足を洗う時期だと感じはじめていた。

そんな折も折、会社の関係会社で従業員福利を専門に事業を行う子会社に欠員が生じ、徳山は出向することになった。

それ以後、徳山が相手にするのは、社外の得意先から会社の社員、特に独身寮生に変わったが、彼の情深い人柄は年代の離れた寮生にも受け入れられ、仕事は順調に進んだ。

寮の閉鎖や移転という困難な事態が発生した際にも、彼は誠実な対応で事態を切り抜けた。

特に独身寮移転のときは天変だった。通勤時間が今までより長くかかってしまうことから、寮生の不満が噴出したのだ。徳山は連日寮に泊まり込み、酒を酌み交わしながら寮生の説得に当たった。

周囲から「そこまでしなくても」という非難めいた声も上がったが、彼はそうしなくては気が済まなかったのだ。

60歳の定年を前にして、徳山はふと故郷に帰りたくなった。姉夫婦が先祖代々の田畑を守っていたが、義兄が亡くなり、姉一人では手に負えなくなっていた。

出向している会社は嘱託制度が有り、定年後も嘱託として慰留されていた。

家族は故郷に住まいを移すことに大反対たった。長男も長女もすでに就職しているため、会社を辞めたくないと主張し、妻まで長年住み慣れた土地を離れたくないと言い出した。

徳山にとっては、定年後故郷に帰って農業に従事することが長年暖めていた密かな夢だったのだが。

家庭をとるか、仕事をとるか、それとも長年の夢をとるか、彼は迷った。会社を辞めるのは定年まで働いたのだからよしとして、家族と離れ離れになるのは辛かった。かといって、長男として先祖代々の田畑は守らなければならない。

彼は意を決して単身、故郷に帰ることにした。それからというもの、徳山の晴耕雨読の生活がはじまった。100面もある段々畑に稲を植え野菜もつくり、最近では椎茸の栽培に乗り出した。馬も飼い、牛も飼い、近々牛の頭数を増やす計画だ。

人生いろいろと言うが、徳山の選択、これも一つの人生じゃないか。

現役転職コンサルタント


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