転職・起業事例2/環境保全と資源再生に貢献する女性社長

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21世紀は人間と環境の世紀と言われている。景気低迷の中にあっても、事業、仕事、そして部下を元気よく引っ張る女性も多い。そんな人である桜井礼子は、千歳金属株式会社の創業者であり社長である。氏の起業家精神、経営理念、事業展開や行動の基準には特筆すべきものがある。

また、その先見力、説得力と行動力には感服するばかりだ。

桜井は、昭和四七年に事業を開始、四九年に千歳金属株式会社を設立した。昭和五二年、金属回収工場を設立し、操業を開始。さらに昭和五五年、金・銀・銅・鉛・ニッケル等の100%リサイクルを目指し、同工場の回収技術改善と能力増強投資を完了した。

その後、金属製錬会社とも連携して回収技術に磨きをかけ、金属が付着ないしは混入している工場産業廃棄物、スラッジや廃液から分別・破砕・乾燥・溶解・製錬の各工程を経て、地金やコンクリート原料を再生する「クリーンリサイクルシステム」を確立する。

これにより、焼却、中和放流や埋め立て処理等をまったく必要としないクローズドシステムを実現した。具体的には、電子機器の部品を搭載するプリント配線板や、その素材である銅張積層板に由来する工場産業廃棄物から、銅・鉛・金等の金属を資源として回収、再生する技術を確立し、時代の要求である排出規制と資源節約に応えるリサイクル事業を展開している。

桜井の学生時代は、第一次オイルショックまでの昭和40年代前半である。この時期、自然破壊と健康被害、公害事件と訴訟裁判、そして、公害防止運動の高まりによる排出濃度や工場立地の規制等により、一般社会は、経済の高度成長を支えてきた企業や国家に対し、環境破壊につながる物づくりの工法や手段の見直し、さらには、環境改善技術の開発を強く要求していた。

「山紫水明の国土や生命誕生の源である海をきれいな状態で子孫に残していきたい」。桜井は、当時から信念にも近い願いを抱き続け、リサイクル事業創造の原点としてきた。したがって桜井は、創業以来、産業廃棄物問題を埋め立てや海洋投棄では処理しない事業の構築を目指し、二五年有余の創意工夫を経て先の「クリーンリサイクルシステム」に到達したわけである。

創業者、そして社長としての思いや取組みを彼女は次のように話す。

「私がこの仕事をはじめようとした動機は、水俣病やイタイイタイ病の存在を知ったときからです。治療の術もない原因不明の病に健康を奪われ、不安と苫しみ、希望のない闘病生活を送る多くの人たち、そして、看病や介護に追われ、困窮した生活を余儀なくされているその家族、これらの事実は、私に言いようのない衝撃をに与えました。この不可解な病は従来、風土病のような取扱いを受けていました。しかし、限定された工場からの排水に起因すると知らされたとき、工場からの廃棄物の種類と処理法を知りたくなり、自分なりの調査をはじめたのです。

資料を調査するうちに、当時の廃棄物処理法は大別して四つで、埋立て、焼却、河川放流、海洋投棄と知りました。これらの処理法は、防止基準の数値化も曖昧で、二次汚染の不安を覚えました。膨大な廃棄物を目前に当惑する社会。その一部でも廃棄しないで済む方法はないものかと、微量からでも再生利用に取り組むことを決意し、自分なりの方法で産業廃棄物のリサイクルを事業としてスタートさせたのです。

産業廃棄物には、人類の生存を脅かす物質が含まれている危険性があります。排出する人、運送する人、処理する人、すべてが環境保全に目覚め、化学的知識を磨き、適切な方法や手段を見出していく必要があります。子孫の生活環境を保全するため、優れた人材の参加を得て、確実で安全な処理方法を開発し、産業廃棄物は資源というイメージアップを図りたいと思います」。

桜井は、若い人たちが抱いている意識や日常のボランティア活動に、将来、実業への参加や活躍の兆候を感じ期待している。

現役転職コンサルタント


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