転職・起業事例7/出会いが人生を変えた

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小堺俊晴は50歳、大手メーカーY社に勤める会社員だ。

ある日、会社の人事部から、社団法人ビューティフルエージング協会が行っている「人生設計アドバイザー」の講習会の受講を薦められ、参加した。

講習会の内容は中高年を対象としたもので、人生80年時代をよりビユーティフルに生きるために、定年後を含めての生涯の健康、経済生活、生きがいについて情報提供し、考えるといった内容であった。

健康については、中高年のかかりやすい生活習慣病や、メンタルヘルスについての講話。

経済生活については、定年後の年金、雇用保険などの収入と生涯必要生計費とのバランス設計、生きがいについては、定年後の職業、家族関係や趣味、地域との関わり、ボランティア活動などが研修の主要テーマだった。

これまで中堅管理職のいわゆる会社人間として、それこそ家庭も顧みず仕事一筋で突っ走ってきた小堺にとって、講習会の内容はとても新鮮で、刺激的で、文字通りビューティフルなものだった。

とりわけ50歳という年齢になって、定年後を含めた自分の職業生活を、自分としてはほとんど何も考えていなかったこと、通用する自分の職業の専門といえるものを身につけてきていないこと、などを思い知らされた。

また生涯経済生活において、講義の中で行ったコンピュータによるシミュレーションでは家計が赤字になること、家族との関係を積極的に考えていなかったことなどを改めて認識した。

小堺は、経済環境や雇用環境の変化の中で、中高年の管理職の先輩たちが、出向・転籍・リストラに脅えながら必ずしも意に沿った境遇で什事をしていない姿や、不平不満を抱えながら従事している姿などを多く目の当たりにして、できれば自分は、定年後は自分なりに納得のいく仕事をしたい、また充実した家庭生活を送りたいと願うようになった。

小堺は、もう少し早い時期にこうしたことに気づき、自分なりに若いうちから勉強し、準備をしておくべきだったと大いに後悔した。

しかし、今からでも遅くはないと、講習会で一緒だった人が薦めていた「産業カウンセラー」の勉強をはじめた。

対人関係の多い現在の仕事に役立つと思ったこともあるが、それ以外に妻や子供たちとの家族関係の改善に役立つかもしれないと思ったからである。

当時、彼の子供は中学一年で、学校の先生から「いじめにあっているようだ」と聞いていたし、一方で非行のはしりのような行動も見られた。子供たちとのコミュニケーションは、必ずしも十分なものでなく、表面的ですれ違いも感じていた。

氏は、隔週土曜日の講座に10ヵ月ほど通い、「初級産業カウンセラー」の試験にも合格した。一緒に勉強した会社外の友人を得たことも大きな収穫だった。

現在は、将来の仕事のために何か自分の専門といえるものを身につけたいと、「社会保険労務士」の資格にチャレンジしている。

それまで会社で人事関係の業務に長く従事していたので取り組みやすく、また、やりようによっては自分で開業できるとも聞いたからである。

毎週日曜日に、資格取得のための学校に通っている。仕事の傍ら勉強するのはたいへんで、若い頃と違って体力、記憶力にも衰えを感じるが、小堺は今改めて学ぶことの楽しさを感じている。

そしていつの日か「リストラなんて恐くない」、そんな自分になりたいと思っている。

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転職・起業事例6/単身帰郷し先祖伝来の田畑を守る

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また稲穂の実る季節がめぐって来た。

徳山喜三郎が、稲作の収穫を迎えるのはこれで六度目になる。幸い稲も順調に実をつけ、今年も豊作のようだ。また、昔の会社仲間と酒を酌み交わしながらの自慢話を楽しみにしている。

徳山は、四八年前に大手化学メーカーに入社した。高校時代から山口県の片田舎の高校で長距離ランナーとして名を馳せ、会社にも陸上選手として採用された。

その健脚ぶりは社会人駅伝で区問賞をとるなど輝かしい成績を残し、特に急坂が得意であった。

そうした徳山も齢30を過ぎる頃から健脚に衰えが見えはじめ、後輩に道を譲って大阪の営業部に配属となり、陸上選手生活にピリオドを打った。

営業部に配属されてからの徳山は、持ち前の明るさと陸上で鍛えた粘り強さ、加えてその人柄のよさが買われ、営業成績をぐんぐん伸ばしていった。

実は、徳山は営業部に入ってからも走った。得意先から得意先まで走り回ったのである。

四~五キロの距離なら平気で走った。上り坂も下り坂も走り続けた。バスや電車を待つよりも早かった。

あるとき新人社員が配属され、教育のために徳山の顧客回りに同行したが、そのときも時間がないため走り、10歳年下の新人が音をあげたという。

そんな徳山も人情家である。得意先の経営が思わしくなくディーラーが売り渋ったときも、必死になってディーラー探しに駆けずり回り、何とか繋ぎその得意先の経営危機を乗り越えさせた。

50歳を過ぎた徳山は、営業部の中でも一番のベテランになり、若い人たちが次々に育ってきて、そろそろ営業部からも足を洗う時期だと感じはじめていた。

そんな折も折、会社の関係会社で従業員福利を専門に事業を行う子会社に欠員が生じ、徳山は出向することになった。

それ以後、徳山が相手にするのは、社外の得意先から会社の社員、特に独身寮生に変わったが、彼の情深い人柄は年代の離れた寮生にも受け入れられ、仕事は順調に進んだ。

寮の閉鎖や移転という困難な事態が発生した際にも、彼は誠実な対応で事態を切り抜けた。

特に独身寮移転のときは天変だった。通勤時間が今までより長くかかってしまうことから、寮生の不満が噴出したのだ。徳山は連日寮に泊まり込み、酒を酌み交わしながら寮生の説得に当たった。

周囲から「そこまでしなくても」という非難めいた声も上がったが、彼はそうしなくては気が済まなかったのだ。

60歳の定年を前にして、徳山はふと故郷に帰りたくなった。姉夫婦が先祖代々の田畑を守っていたが、義兄が亡くなり、姉一人では手に負えなくなっていた。

出向している会社は嘱託制度が有り、定年後も嘱託として慰留されていた。

家族は故郷に住まいを移すことに大反対たった。長男も長女もすでに就職しているため、会社を辞めたくないと主張し、妻まで長年住み慣れた土地を離れたくないと言い出した。

徳山にとっては、定年後故郷に帰って農業に従事することが長年暖めていた密かな夢だったのだが。

家庭をとるか、仕事をとるか、それとも長年の夢をとるか、彼は迷った。会社を辞めるのは定年まで働いたのだからよしとして、家族と離れ離れになるのは辛かった。かといって、長男として先祖代々の田畑は守らなければならない。

彼は意を決して単身、故郷に帰ることにした。それからというもの、徳山の晴耕雨読の生活がはじまった。100面もある段々畑に稲を植え野菜もつくり、最近では椎茸の栽培に乗り出した。馬も飼い、牛も飼い、近々牛の頭数を増やす計画だ。

人生いろいろと言うが、徳山の選択、これも一つの人生じゃないか。

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転職・起業事例5/健康・生きがいづくりアドバイザーとして輝く

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松尾啓子、六六歳。「健康・生きがいづくりアドバイザー」(厚生省の外郭団体=健康・生きがい開発財団によって認定される資格)であり、N市にある市民互助型在宅福祉サービス団体=シーアイネットのコーディネーターおよび協力員(介助人)でもある。

生きがいづくりは、妻が夫を上手にリードする「婦唱夫随」が理想ではないかと考え、松尾は、夫の退職後の夫婦間のズレを防ぐため、あせりたい心を抑え、15年かけて夫を教育してきた。このかいあって、夫は今では家事全般をこなし、彼女のボランティア活動のよき協力者となっている。

彼女は夫が自立したのを契機に、シーアイネット設立に参加し、丸四年になる。多数のお年寄りと接した経験から、次のような感想を抱くに至った。

「お年寄りには、目に見える不満はなくても、漠然としたストレスを抱えている人が多いようです。そのような方たちの相談相手となるのは大変根気がいると思うし、ただ聞き役に徹するのではなく、前向きに今後の生活を考え、自立を促すことが大切だと思います」。

それからの彼女の行動は実に素早いもので、健康・生きがい開発財団の主催する「健康・生きがいづくりアドバイザー養成研修」に申し込み、三ヵ月の研修を受講し、資格を取得した。これが現在の活動に大いに役立っていることは、言うまでもない。

お年寄りたちに、健康と生きがいづくりの助言を行う一方、介助人としてお年寄りの介護(排泄、介助、清拭、洗髪、食事介助)、痴呆症・知的障害児の見守り、産前・産後の手伝い、家事援助
(食事づくり、掃除、洗濯)など、体力・気力を使うハードな什事をこなしている。

人間としての尊厳を保ちながら、生きていくうえで不可欠な「心」や「ふれあい」を大切にする姿勢で、優しさを込めて接する彼女は、六六歳とは思えないほど若々しく輝いて見える。

特に男性の独居老人は寂しがりやであることを痛感。食事をしながら話し相手となり、心のふれあいの場を演出している。大切なのは、その人の歩んだ時代について勉強し、折々の事柄を話題に盛り込むことのようだ。

一昨年は、ヨーロッパ福祉研修旅行に参加して、デンマーク、スウェーデン、イギリス、フランスの福祉施設を見学してきた。この研修旅行には、全国から六四名の福祉関係の現場で働く人たちが参加した。

「スウェーデンのある市では、痴呆性老人のための施設が街なかにあって、家族や友人が気軽に訪ねて来られるように配慮されているんです。個人の邸宅を改装した建物で、個室はきれいで明るく、敷地内に美容室もあるんです。お年寄りに対して28人の介護者がついていました。私の身の回りでも、介護が必要とされる方は増え続けています。介護はとにかく時間と根気のいる仕事。家族だけではとてもカバーしきれるものではありません。専門の介護者の存在は家族にとって心強いものですね。そこに家族が会いに来て心のふれあう時間を持つこと、これが大切ですね」。

松尾は日本に帰り、ヨーロッパと日本の事情を比較してみて、六〇歳以上の老人(男性)に自立心を起こさせることがいかにむずかしいかを実感した。少子高齢社会に臨み、これからの日本を背負って立つ若者や小・中学生にも自立の心を教え、ボランティア精神を育てることが大切であると信じている。

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