転職・起業事例4/72歳で現役コンサルタントとして活躍

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外房の海岸から朝日を眺めるたびに、山口治は、自分の歩いてきた人生に悔いはないと思う。九十九里に別荘を建ててはや一五年が経った。毎年正月と夏休みには、最愛の妻とパグ大の親子二匹との生活を楽しんでいる。近くに畑を借りてスイカ、ピーナツその他いろいろな野菜をつくり、自給自足の生活を営む。

山口は中字竿業後、化学会社に入社。従業員のランクでは一番格下の「雇員」からスタートした。

農家の四男として生まれ、中学卒業と同時にサラリーマンの道を歩まざるを得なかった山口だが、そのすぐれた知能は入社後すぐに発揮されるところとなった。

この化学会社はもともと、従業員の処遇では初任格付けこそ学歴を基準にしていたが、入社後は、各人の能力と実績で昇進する制度を持っていた。彼はその制度の存在を知ると、猛然と勉強をはじめた。雇員から社員への登用試験にはじまり、社員の昇進制度を全てクリアし、50歳前後には大学卒業並みの処遇を受けるようになっていた。

常に人事・勤労分野の仕事に従事し、その道の第一人者となり、定年前にはそのキャリアを買われて子会社の社長になり、その会社の経営理念を確立したのち、六四歳で勇退した。

勇退後も現役時代のキャリアを買われ、経営コンサルタントとして活躍し、多数の会社の人事・賃金処遇制度の見直し、退職金制度の改訂等を実施して、七二歳になる現在も現役時代と変わらない頑張りを見せる。山口の年齢や過去の病歴を知る同僚・後輩たちは、その健康面を心配するほどの活躍ぶりだ。

入社後間もなく肺結核で左の肺を摘出し、若くして片肺というハンディを背負うことになった。入院治療に専念する本人を励ました当時の看護婦が、現夫人である。2人の子どももすでに独立し、長女の孫との食事会が楽しみの一つだ。さらには、現役時代の人間関係・人脈をペースに組織された「ハイキングの会」の会長として、今でもOB・現役に対して強烈なりーダーシップを発揮している。

「ハイキングの会」も皆勤、次回の「上高地」を楽しみにしている。

そんな山口が11年前、突然、現役・OBだちとの連絡を絶った。夫人に尋ねても要領を得なかったが、ちょうど冬場で、ハイキングの会が開催されない時期だったため、会のメンバーもさほど気にはしなかったという。

ところが後目、山口本人から事情を聞いて、みんな驚いた。なんとガンの手術を受けていたというのだ。七〇歳での開腹手術、しかも胃の三分の一を切除したというではないか。そのうえ、OB・現役ばかりか、なんと夫人まで、ガンとは知らなかったというからますます驚きだ。知っていたのは山口本人だけだった。

家族にさえ知らせず一人で手術を決めたのは、「全て最善を尽くした。自分の人生に思い残すことはない」という心境からだったのだろうか。

後日談がある。山口は、現役時代に導入した「ガン保険」に自らも一口加入していた。その保険給付金が大きく、70歳を過ぎていたため、老人保健法の適用で個人負担は少なく、山口はその差額の一部を先述の「ハイキングの会」へ寄付したのだ。会のメンバーは大病を患ったことも知らされず、見舞いにも行っていないのにと複雑な思いに駆られた。

八月半ば過ぎて、化学会社の人事部に山口から電話が入った。山口の勤労、労務時代の後輩で「ハイキングの会」の幹事役をやっている宮島に、千葉の別荘でとれたスイカを持ってきたので近くの駅まで受けとりに来てほしいとのこと。実はこのスイカ、毎年恒例となっており、今年はなんと特大が二個。千葉から東京まで、さぞ重かったのではないだろうか。

ご相伴を授かる人事部の連中はみんな大喜びだ。七二歳になって完全に元気を取り戻した彼の最近の心配事は、愛犬パグの母親「愛ちゃん」の目が見えなくなったことだ。散歩につれていっても、田圃に落ちて泥んこになることもしばしば。

OB・現役の心配をよそに、山口氏はますます元気だ。

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転職・起業事例3/再就職支援で社会貢献

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葉山貞夫は六二歳。昨年の夏から、名占屋で再就職支援(アウトプレースメント)会社に勤務している。

昨年三月に、長年住み慣れた東京を離れ、妻と一緒にふるさとの三重に戻ってきた。夫人の母親が高齢のため健康状態に少し支障が出てきたことから、この帰郷を決めた。

同年六月に、以前勤めていた会社の人事部の後輩・高田慶一から、「実はうちの会社も数人お世話になっている再就職支援会社が、業務拡張の一環として名古屋に支店を出すことになり、その支店長を募集しています。葉山さんなら即戦力でいけますよ」という電話がかかってきた。

葉山は、その前年に会社を定年退職。定年直前こそ関連のサービス会社で営業を担当したが、長年、人事部で出向先開拓・相談・フォローの仕事に携わってきた。

葉山が現役で担当していた頃は、まだアウトプレースメント会社との付き合いがほとんどなかったため、話を聞いたときは、果たして60過ぎの自分に務まるのかと心配した。

面接の際、再就職するなら人の役に立つ仕事がしたいと思っています。再就職の相談・支援の什事は大変興味があり、やりがいのある仕事と考えています」と語り、話はトントン拍子に進んだ。

六月末から支店長として、さっそく支店開設準備に取りかかることとなり、この間、延ベ10日間、社内でカウンセラーになるための教育を受けた。新しい分野の仕事にもかかわらず、マニュアルや教材がしっかりしていることに感心した。

そして、七月末から実際に10数人を受け入れた。実績としては今年の春までに約50人受け入れ、約30人の再就職が決まり、これは社内でも1,2番の成功実績だった。仕事の内容は、まず受け入れたら約2ヶ月かけて一人一人、あるいは集団で次のような内容のカウンセリングを行う。

「再就職を絶対成功させるぞという意識づくり」「キャリアの棚卸しと職務経歴書作成の指導」「面接の受け方・人材紹介機関の訪問要領など、再就職を成功させるためのノウハウの提供」。これらの準備ができれば、いよいよ求職活動開始である。

再就職したい業種、職種、時期は、何歳まで働きたいか、あるいは単身赴任をしてでもよい仕事がしたいか、給与は二の次でむしろ家から通えるところで仕事をしたいか等、意思をさらんと整理できる人ほど長く成功するようだ。人さまざまで、中には雇用保険も出ているし少しゆっくりしたい、という人もいる。

葉山の会社では、受け入れてから平均で3ヶ月ないし4ヶ月で再就職先が決まるケースが多い。本人が、「絶対に次の仕事を見つけるぞ」という気持ちになることがカギであると語る。

ほとんどの人は前職を退職してから来ているが、中には在籍のまま末ている人もいる。退職してから来ている人のほうが退路を断たれている分、必死になって探すようだ。葉山は、毎日四人から5人くらいのカウンセリングを担当している。時には厳しく、時には優しく励ましながら、誠意を持って対応する。アドバイスに従って人材バンクや人材紹介機関を訪問したり、同社の求人情報等を
丹念に見て、求人案件を見つけ、就職を成功させるような人を応援する。

面接もうまくいき、再就職が決まり、本人からも求人会社からも喜ばれるようなとき、ささやかながら、人の役にたてたという思いと、この仕事を選んでよかったと感じる。

残念ながら中高年の求人案件は極めて少なく、葉山の会社も、独自の求人開拓に力を人れている。築山も、時間が空けば求人開拓を行う。成長が見込まれる中小企業をリストアップして、担当者が電話で求人の感触の有無を探り、求人開拓担当者が求人会社を訪問するという方法を採っている。

世の中リストラ流行りで、希望退職、人員削減の記事が新聞に載らない目はない。今年の夏、出身会社からも、早期退職優遇制度を利用して退職する人を数人受け入れることになった。お世話になった会社への恩返しと思い、葉山の顔が一段と引き締まる。

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転職・起業事例2/環境保全と資源再生に貢献する女性社長

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21世紀は人間と環境の世紀と言われている。景気低迷の中にあっても、事業、仕事、そして部下を元気よく引っ張る女性も多い。そんな人である桜井礼子は、千歳金属株式会社の創業者であり社長である。氏の起業家精神、経営理念、事業展開や行動の基準には特筆すべきものがある。

また、その先見力、説得力と行動力には感服するばかりだ。

桜井は、昭和四七年に事業を開始、四九年に千歳金属株式会社を設立した。昭和五二年、金属回収工場を設立し、操業を開始。さらに昭和五五年、金・銀・銅・鉛・ニッケル等の100%リサイクルを目指し、同工場の回収技術改善と能力増強投資を完了した。

その後、金属製錬会社とも連携して回収技術に磨きをかけ、金属が付着ないしは混入している工場産業廃棄物、スラッジや廃液から分別・破砕・乾燥・溶解・製錬の各工程を経て、地金やコンクリート原料を再生する「クリーンリサイクルシステム」を確立する。

これにより、焼却、中和放流や埋め立て処理等をまったく必要としないクローズドシステムを実現した。具体的には、電子機器の部品を搭載するプリント配線板や、その素材である銅張積層板に由来する工場産業廃棄物から、銅・鉛・金等の金属を資源として回収、再生する技術を確立し、時代の要求である排出規制と資源節約に応えるリサイクル事業を展開している。

桜井の学生時代は、第一次オイルショックまでの昭和40年代前半である。この時期、自然破壊と健康被害、公害事件と訴訟裁判、そして、公害防止運動の高まりによる排出濃度や工場立地の規制等により、一般社会は、経済の高度成長を支えてきた企業や国家に対し、環境破壊につながる物づくりの工法や手段の見直し、さらには、環境改善技術の開発を強く要求していた。

「山紫水明の国土や生命誕生の源である海をきれいな状態で子孫に残していきたい」。桜井は、当時から信念にも近い願いを抱き続け、リサイクル事業創造の原点としてきた。したがって桜井は、創業以来、産業廃棄物問題を埋め立てや海洋投棄では処理しない事業の構築を目指し、二五年有余の創意工夫を経て先の「クリーンリサイクルシステム」に到達したわけである。

創業者、そして社長としての思いや取組みを彼女は次のように話す。

「私がこの仕事をはじめようとした動機は、水俣病やイタイイタイ病の存在を知ったときからです。治療の術もない原因不明の病に健康を奪われ、不安と苫しみ、希望のない闘病生活を送る多くの人たち、そして、看病や介護に追われ、困窮した生活を余儀なくされているその家族、これらの事実は、私に言いようのない衝撃をに与えました。この不可解な病は従来、風土病のような取扱いを受けていました。しかし、限定された工場からの排水に起因すると知らされたとき、工場からの廃棄物の種類と処理法を知りたくなり、自分なりの調査をはじめたのです。

資料を調査するうちに、当時の廃棄物処理法は大別して四つで、埋立て、焼却、河川放流、海洋投棄と知りました。これらの処理法は、防止基準の数値化も曖昧で、二次汚染の不安を覚えました。膨大な廃棄物を目前に当惑する社会。その一部でも廃棄しないで済む方法はないものかと、微量からでも再生利用に取り組むことを決意し、自分なりの方法で産業廃棄物のリサイクルを事業としてスタートさせたのです。

産業廃棄物には、人類の生存を脅かす物質が含まれている危険性があります。排出する人、運送する人、処理する人、すべてが環境保全に目覚め、化学的知識を磨き、適切な方法や手段を見出していく必要があります。子孫の生活環境を保全するため、優れた人材の参加を得て、確実で安全な処理方法を開発し、産業廃棄物は資源というイメージアップを図りたいと思います」。

桜井は、若い人たちが抱いている意識や日常のボランティア活動に、将来、実業への参加や活躍の兆候を感じ期待している。

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